チャーリーは言った。手は手でなければ洗えない。

今月19日から、カウボーイビバップの実写版ドラマがネットフリックスで配信されるようで。

アニメや他メディアからの実写化はよく批判の対象にされやすいと思うのだけれど、

僕は今回の実写版ドラマは素直に楽しみにしている。

監督は渡辺さん、音楽は菅野さん、日本語版声優陣は当時のメンバーときたから、

当時のアニメ版を見ていた僕にとっては、あの頃に引き戻してくれること期待は大きい。

数年前に攻殻機動隊の海外実写映画化で賛否あったけれど、僕はあれはあれで良いと思う。

元々の士郎政宗氏の原作漫画の雰囲気とはかけ離れたものだけど、

初期アニメ劇場版の押井守監督が当時世界に与えたイメージの影響は大きい。

僕にアニメの面白さを教えてくれた作品を上げろと言われたら、カウビ攻殻は外せない。

それぐらい楽しさだけでなく、教養が詰まってると僕は思う。

ちなみにジョジョストーンオーシャンのアニメが12月から始まるらしい。

こちらは妻の方が楽しみにしているようで。

 

 

 

What' this:-D??

スノウクラッシュと言われるより、僕はディズニー映画のトロンの方がイメージしやすく、しっくりくる。

子供の頃映像として見てるので、何となく想像がつく(と言っても僕はまだ生まれてません)。

トロンはコンピュータの中の世界の話だったけど、データの世界の話ではある。

なんのことだかさっぱりという方には、ジェームスキャメロンの映画、アバターとかアニメだとソードアートオンラインと伝えたらわかるだろうか。

そう、最近話題になっている「メタバース」というものだ。

僕はこの時代の流れ、技術の発展でいずれ様々なSF的要素も実現的に、

可能になるのかなと思ってはいたけれど、

今こういう形で仮想世界の話題が出てくるとは思ってなかった。

時間が進むのは本当に早い。

カーク船長が宇宙飛行したから、おかしな話でもないのかもしれない。

この仮想空間サービスが良い意味で発展していけば、新たなサービスやビジネスの世界が広がっていくんだろうと思う。

NFTもそうだし音楽のサブスクなんかもそうだけど、実際のモノではなく、データで良いと感じる今。

ミニマムを推奨する人も出てくるし、モノでなくコトを推奨する人もいる。

僕はどちらかと言えば、アナログ好きだし、CDやブルーレイ、本など実際に持ってる方が好きだったりする。

話が逸れるから戻すけど、

これからのテクノロジーやサービス、仮想世界の良し悪しは体験してないから僕にはまだわからないけれど、新鮮なものも時間が経てば普通になってくるのかな。

医学もそうだけれど、人はいずれ魔法使いになるのかもしれない。

 

 

 

 

サワークリーム&オニオン

約一ヶ月ぶりぐらいにブログ書いてる。

毎日コツコツ書いていきたいと本当は思うのだけれど、

大雑把な僕にはなかなかに至難の業のようで……。

書きたいなと思ったら書いてみようと思う。

今回はその書きたいと思ったから、こうして書いてみてる。

今僕がこれ書いてる横で、妻が島を新たに作り直している所存(あつ森)。

妻も自分が動きたいときに動く人なので、基本僕と同じ省エネ人間だ。

島を作り始めるまで英語の勉強をしていたのだけれど、急に気になり出したのか、

あつ森のアップデートの影響か、島作りに没頭している。

やりたいことをやる、やりたくないことはやらない、これ。

熱中と集中の違い、向き合い方、上手く使い分ける、だね。

そういえば、僕は以前ブログで本をよく読むと書いたのだけれど、

最近は読む本が減ってきた気がする。読みたい本がなくなってきた、というのが正解か。

僕が本を読むのは、ただ面白いから読む。自分にとって、要は映画や音楽、ゲームと同じで娯楽なのだと思う。

娯楽の中には教養があり、得るものは非常に多い。

僕は好きなことをやる際に、余計なことを考えないでやっている。

例えば、本を読む際に答えを求めたり、内容は深読みしても、本に読まされないようにしている。こうやって文章で書いてみるとおかしな感じがするけれど、つまり本に書いてある内容をそのまま額面上で理解し、インプットしないことだ。それは頭で考えたつもり、理解しただけになっていると思う。ビジネス的な意味で世の中には似た内容の本が多々あるから、本来本当の意味で、意味のある本として存在する本は少ないと考えられる。また、読み手も同じ意味を持つと思う。皮肉かな。

だから僕は面白おかしく娯楽を楽しんでる。

自分の頭で考えて、理解して、行動している。

今までの人生の経験上、僕は僕の考えで行動したことでしか、上手くいってないからだ。

 

ただ、一つ例外があるなら、僕のダイエットは未だ上手くいっていない……。

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンアイは神ゲーだった。

昨日は妻と久しぶりに映画を観てきました。

待ちに待った007の最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」。

コロナの影響から公開延期で1年以上経ちましたが、ようやく観ることができました。

もう、最高の一言です(語彙力のない感想)!!

先日公開されたばかりで観てない方が多いかと思われるので、

あえてネタバレをしない方向で。

いつものようにボンドは暴れてるのですが、個人的にはどんでん返しでした。

それと、007を観て泣きそうなるとは思いもよらず……。

僕は一作目の「ドクター・ノオ」から通して観てますが、ダニエル・クレイグのボンドはハマり役だったと個人的に思います。

今作でクレイグは引退するようで残念ですが、最後に素晴らしい作品を残したと思います(前作から引き続き、ボンドガール役のレア・セドゥも良かった)。

妻は007を観たことがなかったので、どんな感想が出るかと思いましたが、素直に面白かったとのこと。

これから観る映画が増えました、と。

ちなみに記事のタイトルですが、ニンテンドー64のゴールデンアイ007を当時馬鹿みたいに友達と遊んだ方は共感してくれるんじゃないかと思われ。

 

 

 

 

 

 

そして本の山ができた

f:id:den-oden:20210922223230g:plain

(gifは妻作、妻のコーヒータイム)


僕は2、3年前から本を読むのが日課になった。

それまで活字アレルギーだったと言っても過言でないほど。

漫画や雑誌も全く読まなかった。

以前は仕事の関係で月刊専門誌の記事を書いたりもしたことはあったけれど、

別に書くのも読むのも得意ではなかった。

それが今では月に数十冊〜百冊近い数の冊数を読んでいる。

この経験から思うのは、何か始めるのに遅いも早いもないということだと思う。

今思うと、両親が本を読む人だったので、後に抵抗なかったのも遺伝も関係あるかもしれない。

親の遺伝は良いところだけ欲しいものだ(花粉症はいらないよう……)。

僕が本を読むきっかけになったのは、ふと本屋に立ち寄った際に小説を購入したことが始まりなんだけど、その時は確か妻が装丁のデザインで選んでくれた。

いわゆるジャケ買いなんだけど、その小説が本当に楽しかった。

読書の勢いは止まらず、今に至ります。

以前よりも未来や人生観を考えて生きるようになったのも、本を読んだことで気づきを得られた経験があったからだと今は思う。

ただ、本を読んだだけでは知識や気づきは得られても、それをしっかり自分の中で咀嚼し、考えて行動に移すことで、読書の本当の意味での価値が得られるんじゃないかと、僕は思う。

サブスクや通販で探したり、レビューから判断するやり方もあるけれど、僕はあえて直接書店で購入することにしている。

書店(僕は本屋と呼ぶ方が好きだ)に行くと沢山の書籍が置いてあるけど、批評やレビューでなく自分のセンスに従って購入することをおすすめします。

最初ってどうしてもわからなかったら調べることもいいけれど、直感を磨くことも是非やってみてほしい。

それからこれは読書の際に僕がやってることなんだけど、余裕を持って読んでみること、つまり時間に追われず集中できたらなお良いかなと思う。なので速読とか流し読みは僕個人は苦手です。自分にあったやり方、読み方を探してみてください。

自分にとって新しい体験は、時として人生観を変える事もあるので、生活している中で気になったことがあったら興味を持ったり、触れてみてはいかがでしょう?

 

 

 

 

 

 

LIKE

好きなものは堂々と好きで良いと思う。

よく、空気を読むという言葉があるけれど、

自分をわかってもらう、表現する際は空気は読まなくて良いと思う。

そもそも空気ってなんだろうね?

場の空気を乱す?空気が悪い?透明だし、そもそも酸素や二酸化炭素だぞ?

みたいなね。

こんなことをブログに書いてるんだから変わってるって思われる?

まあこれも空気を読むということでしょうか(==)

社会で生きていく上では、モラルを守るのは大事ではある。

そして、その場面、そのタイミングで空気を読むことは確かに必要なことではある。

だけど、その空気を自分で吸い込んじゃいけないよ。

ん〜吸い込むってのも変な話か。

まあ、その空気を持ち帰って自分ん家や部屋の中まで持ってくる必要はないさ。

折角自分の世界に戻ってこれたんだから。

これは個人的な解釈、感じ方、考え方なので意見に相違あっていいんだけど、

家や部屋、またはネット上から帰ってくるとホッとするって人は頑張っているんだと思う。

それは良いも悪いもない。

職場でできる人間に見られたい、人に良く思われたい、沢山の人と繋がりたい、モテたい、etc。

僕も元々は表で活躍したい、目立ちたいと思って好きなことを続けて生きてたんだけど、それが承認欲求からくるものだと悟ったときがありました。

それが逆に恥ずかしかったりなんだったり。

学歴とか家庭環境とか地位とか、もししがらみに悩んでいる人がいたら、そんなん取っ払うといいと思う。

良い塩梅、良い距離感、自分の嗜好。

なんだって良いと思う。

その良し悪しとか自分の価値観で良いと思う。

めんどくさく考えるから自分がわからなくなったり、見失ったりするのかも。

そんな時は深呼吸。

酸素吸って、二酸化炭素吐いて。

空気を「読んで」みてください。

f:id:den-oden:20210921235229g:plain

 

 

 

 

NO MORE HEROES

疲れない生き方とは?

縛られない生き方とは?

多分自分が出来る範囲のことをやりながら、

自分に無理のない範囲で生きるってことかなと思う。

自分らしく生きるってことにもなるのかなと。

それはある意味自由に生きるってことにもなるのかな。

このブログに書いてる内容はあくまで一個人、

僕や妻の考えや生き方であるので、真逆の考え方があることも普通であると思う。

そういう意見はむしろ尊重したい。

みんな個々の考え方や意見がある。

僕は以前に書いたブログに好きに生きていると書いた。

文字通り、好きに生きている。

それは僕含め妻も同じく。

僕は好きなことしかできない、本当に不器用である(よく溢す)。

僕は子供の頃から好きに続けたことが今の仕事に繋がっているので、

運が良いとも思うけど、計画的に人生を考えて生きてきたと言ってもいい。

人生を歩む上で過去の弊害があったので、僕は他の人に比べるとスタート地点が遠かった。

ただ、自分の好きを貫いただけ、とも言える。そこだけは曲げなかった。

妻も似たよな人生を歩んでいる。

僕も妻も人付き合いが得意ではない。

友人と呼べる人もそんなに多くはなく、コミュニティや大人数の場は苦手だ。

なので、仕事やプライベートの環境、周りの環境は大切だ。

それはお互いの数奇な人生の影響があるからだけど(細かい話は別の機会に)、

今はそういういわゆるコンプレックスのようなものがあってよかったとも感じる。

だから今は別に生き辛いとは思わない。

以前は苦労を感じたことは何度もあったけど、

今はお互いがいるし、支え合っている。

人と人、お互いのことを分かり合うのは大切だと思う。

それは上っ面や言葉ではなく、気持ちというか。

お互い気持ちをぶつけることで、絆も深くなる。

自分のことをわかってもらうには、相手に伝えることは大事だけど、

まず相手をわかることが大切だと僕は思う。

話を聞くこと、伝えること。

僕が今を自由に、好きに生きていることが出来るのも、妻が話を「聞いてくれた」からです。

今こういう世の中だけど、だからこそ人との繋がりを大切に。

自分の気持ちを大事に。